(体育の日)の祝日変更により、菊間祭りも、10日平日となり、祭り参加者の減少などで、祭り運営上、
日曜日に変更しなければならなくなりました。2年程10月第4日曜を充てていましたが、町内諸事情により平成14年より最終決定として 10月第3日曜と最終決定いたしました。
また、平成17年1月16日より、市町村合併により今治市菊間町となりました。
菊間近郊は元松山藩であり、今治藩とは長い歴史の中で、行事・祭礼等文化の伝承が微妙に違っています。
祖先より営々と築いてきたその地方に残る貴重な伝統文化の伝承が危ぶまれてきています。
もうそろそろ、高度経済成長期によって棄ててきた日本人の魂の根源に気がついていい頃ではないでしょうか。
今年の祭りは,連日の快晴が続く中、抜けるような秋空の中でのなか開催されました。
写真コンテストの作品集は、今治地方観光協会の主催で開催いたしました。
今までの募集要項とは違いますので、詳しくは(フォトコンテスト応募要綱)をご覧ください。
加茂神社 宮司
加茂神社の創立
加茂神社は、愛媛県今治市菊間町に鎮座し、菊間駅東1キロの地点で、菊間町の大部分が氏子区域である。 御祭神は賀茂別雷命、賀茂建角見命、闇淤迦美命、大山咋命(京都の上賀茂神社、下賀茂神社、貴布祢神社、 松尾大社の御祭神)四柱を祀り、境内には菅原道真公、及び天穂日命を祀る天神社がある。 |
加茂神社の創立は確実な資料がなく不明であるが、(菊萬庄)の地名は奈良、平安時代にはすでに確認さ れているが、当地が上賀茂神社の社領地になったのは堀川天皇の御代(寛治四年 1090年)当時宮中 武徳殿での競馬を上賀茂神社に移管する三年前のことと考えられている。 上賀茂神社の菊萬庄社領地保護のため勧請奉斎したものと考えられる。 |
祭りといえば葵祭りを指すほど歴史のある葵祭りは上賀茂神社の大祭で、現代の京都三大祭のさきがけとして あまりにも有名である。 其の前儀として行われる競馬は、欽明天皇朝(540~572)に始まり、堀川天皇朝寛治七年(1093年)に勅願 によって宮中武徳殿での儀式を上賀茂神社に移行して執り行われる事となる。 その際、十番(とつがい)二十頭の馬料として、諸国二十ヵ所の荘園が(社領地)上賀茂神社に奉納された。 其の二十箇所を競馬料と言い、葵祭り競馬の費用をまかなうために選定された荘園(社領地)である。 其の荘園地は以下のところである |
1 | 美作国 倭文庄 美作 今の岡山県北部 作洲 |
2 | 加賀国 金津庄 加賀 今の石川県南部 加洲 賀洲 |
3 | 播磨国 安志庄 播磨 今の兵庫県西南部 播洲 |
4 | 能登国 土田庄 能登 今の石川県北部 能洲 |
5 | 阿波国 福田庄 阿波 今の徳島県 |
6 | 美濃国 脛長庄 美濃 今の岐阜県南部 濃洲 |
7 | 近江国 舟木庄 近江 今の滋賀県 紅洲 |
8 | 若狭国 宮川庄 若狭 今の福井県西部 若洲 |
9 | 淡路国 淡路庄 淡路 今の兵庫県淡路島 淡洲 |
10 | 出雲国 出雲庄 出雲 今の島根県東部 雲洲 |
11 | 備前国 竹原庄 備前 今の岡山県南東部 |
12 | 備前国 山田庄 |
13 | 山城国 名島庄 山城 今の京都府南部 山洲 城洲 |
14 | 丹波国 由良庄 丹波 今の京都府と兵庫県 |
15 | 和泉庄 深日庄 和泉 今の大阪府南部 泉洲 |
16 | 周防国 伊保庄 周防 今の山口県東部 防洲 |
17 | 伊予国 菊萬庄 伊予 今の愛媛県 |
18 | 尾張国 玉井庄 尾張 今の愛知県西部 尾洲 |
19 | 伯耆国 星川庄 伯耆 今の鳥取県西部 伯洲 |
20 | 三河国 小野田庄 三河 今の愛知県東部 三洲 |
平安朝に始まり、鎌倉時代に入って五月五日に年中行事と定着した葵祭りの賀茂競馬は、古式に則り神事
競馬を今に伝え、二十ヵ所の荘園名は今も儀式の中で生きている。十七番目に(伊予国菊萬庄)が存在する。
すなわち、現在の菊間町が競馬料になっていたことが推測される。
以上のように、菊萬庄は葵祭りで賀茂競馬の費用を貢進すると供に馬をも献上していたのである。
そして、(菊萬庄)と称する馬が現在でも上賀茂神社境内を疾駆しているのである。
現在お供馬と称される神事競馬を現出せしめた源泉は、はるか昔の上賀茂神社と菊萬庄との主従関係による
ものである。