第二集
目 次
表題 地区 話者
おたぬきさん 東町 村上 照子  
裏切り家老 東山 松田 嘉藤次
おじいやん狸 松尾 津吉 義光
水の寄り合い場 明田 池内 尚行
女殺しの謂 河之内 太田 ミツコ
へこさかのへこさか 西山、阿蘇 太田 ミツコ
はごろ団子 高田 重見 茂
金貸しだぬき 松尾 君原 銀次
若宮さんの祟り 緑団地 成松 政高
10 川向え地蔵 旭町 森松 タマヨ
11 博打せぬのは・・・・・・ 池ノ原 部落の人達
12 「はよねい」ゆうた山神さん 中ノ川 豊田 和子
13 蛇若衆   渡部 マサノ
おたぬきさん
じょうごやの前にどぶ川があって、そこに石橋がかかっとりました。
はたには柳の木があって、芝居のない折は暗うてさびしいきびわるいとこでしたそこの石橋の下にたぬきが住んどりました。
あるかんかん照りの日のこと、瓦焼きの常八つぁんのとこいやって来たおたぬきさん。
「常八つぁん、常八つぁん、雨が降るぞな。」
とゆうた。
常八つぁんは、
「こんなえゝ日に雨が降るかい!」
と思たけんど、なんせ土でつくった瓦をひろげて干しとるんじゃけん雨は困る、あわてゝかたずけた所へ大雨が降った。
喜んだ常八つぁんはあずきめしをごちそうした。
それからも時々、
「常八つぁん雨が降るぞな。」
とゆうて来よったが、その内雨も降らんのにゆうて来るようになった。
あずきめしを食べたかったんか、常八つぁんがあわてるのが面白かったんか、どっちぞしらんけど・・・。
今は石橋ものうなって、あいきょうもんのおたぬきさんもおらんようになってしもて、つまりませんの、
もし。
裏切り家老
昔話にゆうのに、高仙山城はどんな攻めにもぜったい落ちん・・・・。ゆうぐらい堅固にでけとって、さすがの小早川隆景も、そうとう手ぇ焼いたゆう事じゃ。
高仙城は、なかなか降参せなんだそうなが、じゃのに落ちた。その訳は・・・・・・。
河の内に通じる横のタオ(峠)に、侍の住家がそこいらにあって、武具やら食料やらをじゅうぶんに持っとったんじゃそうな。
ほじゃけん、少々の攻めにも投降するような事はなかった。
ところが、重役の家老から裏切りがでて、さすがの高仙城もついに陥落してしもたんじゃそうな。
それも家老みずからが道案内するじゃのゆう叛逆に。
よっぽどはがいかったんじゃろのう。
高仙のはなしがでた折は、おじいは、やんしに裏切りの事をはなしださいの。
おじいやん狸
狐や狸に化かされたゆう話しはぎょうさんあるけんど、松尾にも二つや三つはあらいや。
それこそ遠い昔の話しじゃけどが。
わしらんとこの部落の子供が、五つか六つぐらいの時じゃっとろ!
「母ちゃん、遊びに行ってこうわい。 」ゆうて、家を出たまんまもどって来んようになった。
こらあ大変じゃゆうんで、部落のもんみいなが集まって、鐘や太鼓で三日三晩そこら回りの山ん中を手分けしもて捜したんじゃとい。けんど、ぜんぜんみつからんじゃった。
ほいで、とうどうあきらめかめると、四日目の晩にひょっくら帰って来た。
「どこい行っとった!」・・・・・・・ゆうと、
「山ぃ遊びに行っとった。 」
「誰と遊びよった! 」・・・・・ゆうと
「おじいやんと遊びよった。」
「どこのおじいやんぞ!」・・・・・・・・ゆうと
「顔見た事ない。」
「三日も腹へったろ、何食べよった!」。・・・・・ゆうと
「饅頭くれてそれ食べよった。」・・・・・と言いもってケロッとしとる。
体からにゅおな臭いがプンプンしとるけん、
「こりゃあ狐か狸に化かされて、馬の糞でも喰わされとんじゃ」と思たけんどがほいでもまあ、
「元気に帰って来たんじゃけんええわい。  」ゆうて風呂にも入れて寝さしたんじゃといの。

水の寄り合い場
水寄りゆうてのぉ、水をわがわが引いても間にあわんゆう折に、番にでもして田ぁに水やらないかんゆう折に、みいなが「天王坊」に寄って、いつから番にいくか、どういうふうな上がり方をするかで集まりよった。
旱魃になると、ながさく(長坂)、田村、明田のもんが、あそこい集まって話し合いをしよった。
そがいさいさいあるもんじゃあなかったけんど、五十年ぐらい前まであったはなしぞい。
反別によって番に出る順や回数をきめて、いっち干いた田ぁよりほうぼこにまくばるために頭をひねりよったもんじゃわいや。
水争いは覚えはないけんど小さいもめごとはしょっちゅうありよった。
日が暮れてから寄ったおりなんぞはのぉ蓑をもってきてそれを尻にしき、笠をかむったりしょつた。
笠かむると相手に顔がみえんけんこの時とばっかし、いっつも、腹に思とることや、ええかげんなことを言いよるもんもおった。
まあ水寄りゆうたらそんなもんじゃた。
ほてからのおぅ、水番は一回が米一升、役が二升五合、総代は四斗、長方が六斗で総代、長方は一年じゃったかのぅ!   もう忘れたわいや。
女殺しの謂
「貧乏人の子沢山」ゆうて、よういゝよたが、昔しゃあ口減らしに子守奉公やら丁稚奉公にやられよった。
それに、娘がえゝ年頃になったらはよおそ(早々)嫁にやるのも一つの方法じゃあった・・・そうな。
盆の奥の氏神さんがあろがな、素鵞の氏神さんが・・・・・・その下に(前)ゆう家があってな、そこの娘さんが庄府ぃ嫁にいとってな、その内におめでたになった。
ほたら姑が
「里い帰って産んで来い。」
ゆうんでな、男でも骨のおれる山道を一ぉ人が泣きもって、山越えして帰ってきて、
「母ちゃん、只今戻んたで。」ゆうと、
「子供がでけるぐらいでいちいち戻るな、この忙しい時期に。」
ゆうもんじゃけん、又庄府ぃ戻んた。
ほたら庄府の方でも又
「いね(帰れ)」
ゆうもんじゃけん何遍でも、いんだりもんたりしよる内にとうどう河之内と玉川の原田境の峠で子供を産んだんじゃとい、
ほたらじきに山犬(狼)が寄って来て、周囲をぐるぐる回りだした。助けを呼ぼうにも産後の事で動く事も声もでんので子供を庇うてふるえとった。
丁度そこぃ、村に家を建てる人があって、兄弟が大けい木ぃかたいで(担)戻りよったら山犬が何かを喰いよるもんじゃけん、よおぉに見たら人間じゃあった。
「こりゃ大事じゃ。このまんまでいに(帰る)よったらいかんけん、さあ、しゃあんとおらべ(叫)。」
ゆうておみこっさん(御輿)かく伊勢音頭を大声出して唄うたら、山犬がたまげて逃げてしもた。
「さあ今の内じゃあ。」
ゆうて女の家ぃゆうて行た。
「おばさん、おばさん大変じゃあ、あんた所の娘さんが山犬に喰われよる。」
ゆうたら、腰抜かして座りこんでしもた。
「なにせぇ早ょいこ。」
ゆうて鍬やら鎌やら持って行てみたら、赤子は喰われてしもとって嫁さんは産後でたまげたもんか、噛まれたもんか、二ぁ人共死んでしもとったんじゃ・・・・・・・・と、
「あぁ〜遅かった、可愛そうにのおぅ、むげに追い返さにゃよかった。」
ゆうて母親は涙を流したんじゃと・・・・・そののおち(後)嫁子の殺された所ぉを、「女殺し」ゆうようになったんじゃ・・・・・・そうな。
へこさかのへこさか
あれはお殿さんがな、廃藩置県(明治4年7月)になる時に松山のお殿さん(14代目藩主久松昭公)が東京い行こう?東京い引上げてしまう事よなあ。
「さあ、お殿さんが居らんようになったら世の中がでんぐり(ひっくり返る)返って、へこさか(逆さ)になるけん東京い行くのを止めに行かにゃいかん。」
ゆうてな、蓑着て、笠かずいて(被る)いて、竹槍もってなあ。
ここら村から大勢んことが揃て行たんじゃとい。
ほて、お殿さんの前い行って皆こなに(額ずく)やろがな、ほたらお殿さんが、
「なぁんでもゆう事があったらゆうてみい。」
ゆうたんじゃといな。
「誰れこっそ。」思とったのに、こうやっとってゆう人がなかったのに庄屋さんが
「あのもし、西山のどこやらの山ぃ山犬(狼)が出て、人を噛んで困りますんじゃが」
ゆうたらな
「おう、そりゃあ又討ってやるけん。」
ゆうたんじゃといな。
また船の乗るとこい皆ぃなで見送って行たじゃとい。
ほたらお殿さんが手ぇを船に上からこよ(此の様)にしたんじゃとい(手を振るのが手を裏返しにする様に見えた)それを見て
「手ぇをこよにしたけん世の中逆さまに、真っ暗闇になるぞ」
ゆうて大騒ぎになった、そうな。
ほたらへこさかじゃのう(なく)て、へこさかに良うなって・・・・・・。
お殿さんが船の上からこよにしたので
「世の中がでんぐり返る。」
ゆうたんじゃの・・・・・・・ゆうて。
これはおんばく(大袈裟)じゃないぞな。
はごろ団子
五穀ゆうたら米、麦、粟、黍、豆と、主な穀類の名ぁじゃが、この頃ぁ粟や黍ゆうたて作るもな(者は)おらん。
昔しゃあ百姓ゆうたら朝のとうから晩の遅うまで田ぁい出て、一生懸命汗水たらして米作っても、みいな年貢に持っていかれてから、ほとんど麦や芋、粟や稗で一年食いつなぎよった。米の検査ゆうたら、一握りに籾がなんぼやら!  三粒入っとったら通らんので
「よっしゃ合格じゃあ。」
いわれたら、
「やれやれ一安堵、よかったよかった。」
ゆうて、家ぃもんてお祝いしよった。
米を搗くのにゃ大けい土臼で、手ずりでやんのじゃが、その臼の心棒のまわりい(え)小米が籾殻や砂埃なんかと一緒にたまっとらいね。
そんな粉ぉもして(捨)やせんと、きれぇに集めて取っといて、団子にしたんが”はごろ団子”ゆうんじゃ。団子ゆうたて名ぁだけで、ジャリジャリするようで、そんなに美味いたあ思わんが、まあ、ちった腹のたしにならいな。
ある日、団子こしゃえて食べよったら、ひょこり庄屋さんが訪ねて来た。あわてゝ口の中の団子を飲み込も思てもなかなか咽こさいで、ねらんだ(睨む)ような顔してむりこやりこ飲み込んだ。ほして、それを見とった庄屋さんに
「お庄屋さん。今のはねらんだ思てくださいますな、ようやか(ようやく)はごろも団子が咽をこしました。」
ゆうたそうな。 これゆう菓子も無い頃のことじゃれ、子供らはばいやい(奪い合う)で、
「うまい、うまい。」
いゝもて食べよったわいや。
金貸しだぬき
昔しゃあどっこも暮らしが貧しいて、なんかごとがあったら銭がいって困りよった。
そがな折は仲のえゝ近所同志で助け合うて暮らしとった。
日用品が切れたりしても、「のおぅ、お隣さん。ちょっと米一升貸してくれんかな!おゝきに。」
「醤油切らしたんよ、一合貸してえな!だんだん(ありがとう)」じゃのゆうて、貸したり借りたりしよったが、仕方なしに店屋で借りる時は盆と季節払いで借りとって、かためて払うんが常じゃった。 ある人が、意地の悪ぅい庄屋に「娘が病気で困っとります。薬代がいるので金貸してほしい。」ゆうて金借りた。
ところが約束の期限が来てもすんなり返す事がでけいで難儀しよると
「御滝の上の狸に相談してみい。貧乏人で困っとる者に銭を貸してくれるらしい。」ゆうて地ぃの年寄りが教えてくれた。
「まさか狸が・・・・・。」と思たけんど、そいでも藁にもすがりたい気ぃじゃあったもんで狸の家を尋ねていって、「娘が病気で金借りとるんじゃけんど払えんので困っとります。どおぅぞ助けてつかあさい。いついつ迄に返しますけん。」ゆうて頼んだ。
すると狸は、「よっしゃ解かった。家ぃ帰って待っとれ」ゆうので家で待っとるとゆうた日に、ゆうた金額が土間のあがりとに、ちゃあんとおいてあった。
「これで借金が払える。助かったわい・・・・・・」「証文もちゃあんと戻してもろたら肩の荷ぃもおりるわい。」いゝもて庄屋に金還して、「これで娘もようなるじゃろう。」思いもって家い帰った。
その内娘の病気もようなり、金の都合もどうしこうし(なんとか)でけて、狸との約束の日も近づいて来て、金を持って御滝の上い訪ねていくと、「貧乏人の金はいらん。」ゆうて受け取らん。
おまけに、「その金は働いて蓄めたあんたのもんじゃ。」ゆうて、どしても取らざった。
ほして、「どがな事があっても知らん顔しとれよ」ゆうとどっかい(どこかに)きえてしもた。
「知らん顔せいててどうゆう事じゃろか!」と、みょうな気ぃもしたが二、三日してその訳が解かった・・・・・・・と
ゆうのは、庄屋が金庫を開けると、なんと、柴の葉っぱが出て来て大騒動しとったゆう事を耳にした。
「こりゃあ、あの狸の仕業じゃなあ!こらしめの為にやったんじゃろぞい。」「まあ、わしには関係ないわい。」いゝもて仕事に励んだ・・・・・ゆわい。
狸や狐も悪い奴だけじゃあないぞ、善のも居る。特に御滝の上のは・・・・・・・の。
若宮さんの祟り
道端のお地蔵さん、お塚さんやらお地のっさん、ほて、めめず(ミミズ)なんかにしょんべ(小便)かけたらチンチンが腫れるゆうじゃろう。あれ、ほんとぞ・・・・・・
緑団地の隅っこに、こんまい祠が祀っとらい。
そん中い、こんまい石が一ぉつ置いとろが、あれが「若宮さん」じゃ。 
祠のじき横に一抱えぐらいの椋の木ぃが今も生えたあるが、わしらが子供の時分の椋の木ぃはそら大けい木ぃでから、大人がよったり(4人)が手ぇ広げるほどの周囲があって、竹んぽつみたいに中ががらん洞じゃあったもんじゃけん、穴の中でよう遊びよった。
大昔はそこら辺りまで海じゃあったらしいて、船の艫綱なんかをその椋の木ぃに継ぎよったゆう事を聞いとらいな。
あれ、いつな頃のことじゃっとろか!斉明さん(天皇山)を発掘たろが、その時一緒に「若宮さん」も発掘たんじゃが、たいした物ぁ出やせざった。
刀の朽ったんが出たぐらいじゃあった。
こわりは(詳細)はよう知らんが、「若宮さん」は、「斉明天皇の子供を祀っとんのじゃ。」ゆうて聞いとるが、そのへんはおゝぶるい(古老)者も居らんなって、はっきりした事ぁ分からんが、斉明さんの子供じゃけん、”若い宮さん”で「若宮さん」ゆうんじゃろ思うがねや・・・・・・・
おじいやおばあがゆうのにゃ、「若宮さんはやかましいけんしょんべひんなよ。」ゆうて、よういゝよった。
「若宮さん」は昔しゃあわしとこのねき(近く)じゃったけん、椋の木ぃの上いあがったり実ぃが紫黒なったら採って食べたりして遊びよったが、わしの兄弟は悪じゃったけんそこら辺で悪さしよった。
ある日、何番目のじゃったか!兄貴が「チンチが痛いチンチが痛い。」ゆうんで見てみると大けにはれてええいごかなんだ(よくうごけなかった)。
お母が、「お前、あそこい行てしょんべひったんじゃろが!」ゆうたら
「うん、ひった」ゆうた。
「あれほどしょんべしたらいかんゆうとったのになんでした」ゆうたら「チンチがはれるかどうか試してみよった。」ゆうんで、「馬鹿が・・・・・」いゝもてひどこいめぇに怒られて、ほてから若宮さんの前ぃまでひこじって(いやいやひきつれて)行かれて、真水でていねいに何遍も洗た。
ほて、「ちゃあんとことわりせい。」ゆうて、お母が燈明とお酒を献上げて拝んでから、頭を抑えつけるんでしょうことなしに(しかたなく)、「これから絶対しょんべせんけん治して下さい。」ゆうて拝んで帰った。
ほたら翌日にゃあころっと治っとったそうな。
そんな事があってから一週間に一遍はなんぼ忙しいても拝みに行きよったわいや。
まあ、若宮さんはうるさいけん、てんごのかぁ(悪戯)すなよ。
川向え地蔵
あっち(私)が思うのに「川上地藏さん」ゆうたらなぁ、”神道さん”ゆうて、もう何十年も前じゃけんど何処の人じゃっとろぞ・・・・・・・
何処ぞから来た人で、”神道坊さん神道坊さん”ゆうて呼んどった人が、その人が「川上地藏さん」ゆうて名ぁ付けて、ほて、ご発行(流行らす)さしたり歌仙の滝を四国八景の一っにするのになんやかや(色々)した偉い人じゃった。
顔じゅう鼻髭やら顎鬚やらでなあ・・・・・・・
新滝から古滝ぃ行くのに曲がり角が三十六あって、それを三十六曲り(さんじゅうむまがり)ゆうんじゃといな。
その所々の角々ぃ七人の瓦職人に作らした瓦の七福神を置いたんも、あれも皆神道さんがこしゃえてあげたんじゃそうなが、その七福神も今は古滝の暗ぁいお堂の中ぃひっそりと眠っとらいな
お地蔵さんのはっきりした謂れはなぁ、まあ訳らんなあ・・・・・・・ 
ただ、どこぞのだれぞが川上から流れて来たんで「川上地藏さん」ゆうて言われとるけんどが、川上じゃないのに川上地蔵さんゆうのは可笑しいゆうて、今はぁ「川向え地藏さん」ゆうて言われとらいな。
あれなぁ・・・・・・・
何時じゃっとろか!祭りじゃとろか!ある家ぃお客さんが来て泊っとってなぁ、あくる朝一番の汽車でかい(帰)るのに宿の人が馬車で駅まで送っていきよったんよ。
ほたら、どしたもんか馬車がお地蔵さんの前を通る時に祠にひっかゝってから、人も馬車もお地蔵さんも一緒くたになって川いとびこんだんよ。
押しこかし(倒)てしもたんよ。
ほじゃのにから人も馬も誰ぁれも怪我一つせずに砂の上に座っとったんじゃそうな。
「怪我もないてゝ不思議よのおぅ」
ゆうて顔を見合わしとったそうなが、ひょっと前ぇ見るとはんぶ(半分)砂に埋まったお地蔵さんの頭がのうなっとって、その端ぃ首がころがっとった。
「やあれ、首がのいた首がのいた」
ゆうてからに、じき(すぐ)に道ぃ上げて、どうばりこうばり(まがりなりに)元のように直したもんののいた(外れた)首はどうしょうもないんで体の上ぃ乗せといた。
「皆ぃな怪我がないのはお地蔵さんが身代わりになってくれたんぞ。」
「お地蔵さんこらいて(ゆるす)下さいよ」
ゆうて、ほて、お供えをおしもなげ(惜しまず)に献げてからはねがい(交互)に拝んだんじゃといの・・・・・・・・・・ 
 それまでもお地蔵さんの端の松の枝打の人が落ちたり、酔っ払いが落ちたり。そこいらで遊びよる子供等はしょっちゅう落ちよったけんど誰一人怪我せざった。
それが不思議なゆうのよなぁそれまではお供えもちくちく(少々)じゃあったんが、それから
「お加護がある。」
ゆうのでご発行(はやる)しだしてからは、お供えもんがなんかかんか(あれこれ)あがとるもんで、お四国巡りのお遍路さんがそこで喉をうるおして行きよんのをみかけらい。
 あっち(私)らも表を通らしてもろたら拝まずと通りゃせん、頭下げても通るけんなぁ。
毎年盆の十三日には必ず踊りをおどっておなぐさめしとります。
博打せぬのは・・・・・・
「博打、馬喰、米いろう(いろうは米相場で大儲けした人が居たところから)、博打せん(しない)のは聖願寺のお地蔵さんと菅の政次郎さん丈じゃあ。」
ゆうて、いわれとる。
昔、池ノ原には馬喰さんが多かって、二〜三人寄ると一寸の間ぁでも花札やら、一本張りやら、サイコロで賭け事ぉやりよった。         
 いっち(一番)ようやりよったんが客神社で、毎晩おゝぜん(大勢)こと寄って来よったそうな。  
 今はのう(無)なっとるが、神社があった所を勝負谷ゆうんじゃが、その谷の名ぁも、そがなとこから付いたゆうていゝよる。
けんどが、実際はぁ高仙城の侍が小早川の軍勢と勝負したところから付いた名ぁらしいわいや。そがなけん、どことも男の子ぉがでけると賽子や花札をつまゝし(握る)て、お祝いしたり遊ばしたりしよったんじゃそうな。
それでじゃろい
「博打せんのは聖願寺のお地蔵さんと、村長さんじゃあった政次郎さんだけじゃあった。」
ゆうような話しが残っとんよ・・・・・じゃけんど、それも昔むか〜し。
「はよねい」ゆうた山神さん
岩ヶ森は中ノ川のいっち遠国でね、家から一里ももっとも奥の山なんよ。
その岩ヶ森には"山神さん”が住んどってね、これはあたし(私)が五つぐらい、弟がまだヨチヨチ歩きの頃の話しですが
梅雨時分、それもいっち忙しい田植え時で、あたしは田圃の畔に、弟は道端の物置小屋ぃ寝さしといて母ちゃん一人が苗ぉ植えよったんと。父ちゃんは夕方から麦摺り手伝ぅてもらうんで
「ちと(少々)残ってもかまん(良い)けん早うに戻れ」
ゆうて代掻きだけしといて先ぃ帰ったそうなんです。
そいでも母ちゃんは
「植とかんと、せっかく掻いた田ぁがかとなって苗が植えられんなってしまう。」
ゆうて植えよったんですと、その内に暗なって来て、お腹もへったあたしらが
「もういの(帰る)やかいろ(帰る)や、暗なったかいろや。」
ゆうもんじゃけん
「もうすぐ父ちゃんが迎えに来るけんね、よおぅに見よりよ見よりよ。」
いいもって、それも丁度ええお月夜さんじゃって
「もうちょっとじゃけん待ちよ待ちよ、ここだけ終っといたら帰るけんね。」
いゝもってきり(区分)つけてしまお思て一生懸命に植えよったそうです。
その内むっこ(向こう)の方に灯ぃがチラチラ見えだして、あたしが
「アッ父ちゃんが来た。」
ゆうたら母ちゃんも
「おそいけん連れに来てくれた。」
思たんじゃと。
それが、なんぼしても灯ぃが見えるだあけで近くい来んのよね
「父ちゃんが来ん来ん来ん」
ゆうてあたしがゆうんじゃそうなんですよね。母ちゃんは
「さあ、もう来んならんのじゃが!」・・・・・・といゝもって
「やれやれ終ったけん、さあほた(それでは)いので。」
ゆうてじゅる田圃から上りよったんと、ほたところが弟が寝とる小屋の上をね、フワ〜ッと白い大けな怪火がブワァ〜ッと飛んだんじゃそうですが、岩ヶ森ぃ向いて
「あれ何じゃろか!」
思とるとさあおとろしなって道具もなんもかもほったらかしといて
「おとろしい物が出た。早ょかいろ。」ゆうと
小屋ぃ寝かしといた弟を舁き背負うて、あたしの背中をひどこい目ぇに押しもって
「下ぃ落ちたらいかんけん山根山根歩きいよ。」
いいもって帰りよると村の灯ぃが見え出した所ぉでやっと父ちゃんが迎えに来よんのが見えてね・・・・・・・・・・・・・
ホッとしたんじゃそうですが。道々
「こがな事があったんよ。」ゆうと
「寝と惚とったんじゃろが!」
ゆうんで母ちゃんは
「寝と惚とったんじゃったら子供が父ちゃんが迎えに来たゆうはずがなかろがな。」
ゆうても父ちゃんは本当にしてくれんかった・・・・・・そうなんよね。家ぃもんて(戻る)みると九時もとうに過ぎとったそうです。あたしもその時の事ははっきりとは覚えてないんですけどね、大けなって聞いたんは、どおぅもその怪火は岩ヶ森の神さんが、
「いつまでもうるそうて寝られん。」
ゆうてね、寝るんを邪魔するけんね、
「家ぃはよいね。」
ゆう事じゃなかろか・・・・・ゆうように、うっすらと覚えとるんですが。
母ちゃんは、「もう二度とあんな目ぇには遇いとうない。」・・・・・・・そうよに聞いとります。
蛇若衆
こんまい頃のことで今はどの村やらどの山じゃったか覚えとらんのでどっち向いて行くのかもさえ分かりませんのですが・・・・・・
こっ(ここ)からズンズン、ズンズンいきよると、人もなんにも住んでない奥山のその又奥山にこんまい沼があるんじゃそうです。
その沼に、「主が棲んどるんじゃ。」ゆうてお婆さんが言いよりました。
ある村の庄屋さんがそりゃあきれぇなお娘がおったんじゃそうです。
村の若衆は代わる代わる家ぃ行っては「わしの嫁になってくれや。」ゆうてゆうんですが、娘は首を横に振るだぁけで誰が行ても相手にされなんだんじゃそうですが、  ある晩の事、どっからか見たこともないきれぇな若者が遊びに来だしたはじめは七日おきぐらいじゃったんが三日おきになって、その内に毎晩遊びに来るようになってね、夜はうんば(乳母)がつい(附添)とんのに知らん間ぁに入って来よった。
「これはおかしい。」ゆうてある晩うんばがこそっと戸口の端ぃ隠れとると音もたてずにケド口(羽板、がらり板とも言う。
一般に屋根裏の空気抜きの穴にとりつける薄板)から入って来んので、「これは人間じゃない。魔物か何かに違いない。」思て、若者が帰った後でそれとなし娘にゆうたが娘は笑とるだけじゃあった・・・・・そうですが。
その内娘のお腹が大けなって来て、娘の寝間ぉ見るとウロコが一枚落ちとった。
「もしもの事があったらいかん」ゆうんでうんばは娘と、「よおぅ確めないかん。」ゆう事で、こっそりと長ぁい針と糸を用意しといて、「若者が帰る時に袴の裾ぃ針をさしとおき。」ゆうて教えといた。
ほしてうんばは庄屋さんに、「申訳ないけん。」ゆうて、「今晩は二ぁ人で死ぬる覚悟で後ぉつけてみよや。」ゆうて気ぃつけて見よったら、ほたら、やっぱりケド口から”スウッ”とぬけ出して行ったんで、ついて行くとついて来られるのが分かってねぇ、後向いて目ぇ”ピカッ”と光らしてねえ、ほいて、そいでもついて行きよると沼の端ぃ出て、そこで若者は立止まって
「わたしが人間じゃないのお知られ、生身ぃ針を立てられてはもうこれまでじゃ。一つだけ頼みがある」ゆうんでねぇ
うんばは娘と抱き合うたまんまで震えもって聞いとったんですと、ほたら、
「でけて来る子ぉは男の子ぉじゃけん大切に育ててくれ。ほして家の紋をウロコの紋にしてくれ、ほしたら末代まで栄えるじゃろう。」ゆうといてねぇ、ザブン・・・・・・・・と沼ん中ぃ飛込んで、二度と姿を見る事ぁないなったんじゃそうですが、
「沼の主じゃった蛇が庄屋さんの娘に惚れてねぇ、きれぇな若衆に化けてねぇ、毎晩毎晩通うて来よった。」よやってお婆さんは言よったわいね。
でけた子供がどなになったか!・・・・・も覚えとりませんのよ・・・・・・・・・・・・。


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