菊間の民話と伝説
菊間町では、各地区に、様々な面白いすばらしい民話が,沢山語り継がれていましたが、
時の流れとともに話し手、聞き手共に少なくなり、其の消滅を憂う声も出ていました。
公民館活動の一環として、町合併30周年記念事業の中でふるさとを見直す活動として
これら民話を収集し、「きくまの民話と伝説」を当時の館長 管 寛さんを中心として
昭和60年に発刊しました。今回公民館の許可を得て、埋もれかけようとした其の一部
を抜粋して紹介いたします。
なんだか落ち着かない今の世の中、皆それぞれの故郷を思い出しながら菊間の民話を味
わっていただいたらと思います。

ほてから、文章は菊間弁で書いとるけん、ちと読みづらいけんど、おこらえや。


目 次
表題 地区 話者
河之内の大蛇 河之内 松長  薫  
たぶらかされた話 西山 石山 忠市
河獺娘の悪戯 旭町 若田 日出夫
そーづの川の泉 中ノ川 集落の人達
斉明さんの腹痛松 明田 清水 シズエ
「そにおった」とゆう呪 西海岸 村上 照子
高姫の遊んだ大岩 松尾 管  千代
カツのおじいさん 中ノ川 松浦 ナミヱ
田圃の中の塚の話 池ノ原 白石 日出夫
10 不思議な燈篭 上町 吉井 尚
11 ひよんの木の謂 西山 陸野 正好
12 おリヨばあさんと真似し狸 池原 松田 嘉藤次
13 おさんぜんさんとかたちの木 川上 石畑 イサヨ
*まだまだよもだばなしなんかもあるけんど、このつづきはまたこんどにしょうわい。いっぺんにのせるとせりこはりこになってよみずらいおもうけんの。




河の内の大蛇
河の内のもんが暗がりから馬を引いて山奥い草刈に行ったんじゃと。
その日は朝のとうから、生暖かい風が吹いて、
「気分の悪い日じゃなあ」と思いもて草刈に精を出しとった。
「もうぼちぼち昼頃じゃなあ、飯にでもするか。」と、フッと手をやすめた。
すると上のほうで ゴロンゴロンゆう音が聞こえる。
草を掻き分けおそるおそるのぞいてみると、松の大木にどでかい蛇が巻きついて昼寝のまっ最中。
ゴロンゴロンゆう音は、なんてゝその大蛇のイビキじゃつたんじゃ。
おっそろしいのなんの、しらん間ぁに馬にとびのって家に逃げ帰り気が付いたら布団かぶってへーさし震えとったんじゃそうな。
それから三月ほどは、ぜんぜん山の仕事にならなんだんじゃとい。
たぶらかされた話
わしが若い頃じっさいに化かされた話をしちゃろわい
急いだり近道しょう思ったりすると、よーおにたぶらかされて、田圃の中やら自分の家のまわり
をぐるぐる回って、挙句にどこいつれていかれるかわからんそうな。
夜中の一時頃じゃったと思うが、遅うなったんで、町い泊まろかどうしょうか思ったんじゃが、
ほいでもまあボツボツ歩いてもどりよったんよ。
ほしたらあの大松とゆうか、急な曲がり角があ
りましょ、あの飯掛けよ、飯賭け松のことよ。
これい戻りよったら知っとる女子がふたあり、ブツブツいいもって前いきよる。
「よっしゃこれい追いついちゃろ」おもて、なーんぼ一生懸命歩いてもつーいな
間隔で向こいいきよる。
「えらい足の速い女子じゃ」思たがやっぱしつーいに向い行きよる。そいであのタンダ(谷田)池いかかる頃、そいでももうほとんど追いついた時分にふたありの姿が池の端のやぶの中いフッと消えて、ほいでからブツブツゆう声も一緒にやんでしもた。
「こらキツネにたぶらかされとった。」と思たら、急に、おとろしなったけんど、しゃあんと背中のばしてそろり、そろり、歩いてもんたんよ。
タンダ(谷田)池の端通るときゃあ気いつけいよ
河獺娘の悪戯
昔は、そこらへんの‘ごいど‘※1の中や石垣の穴、ほてから、海辺なんかのあんまり人のいかん岩場なんかに河獺がぎょうさんおった。
とうの昔に聞いた話しじゃけんどきくかや!。
かわうそにも、えゝのんもおるけんどが、なかにゃあ悪さをするのんがおって、あたりの人をちょくちょくだましょったんじゃそうな。
部落のもんが、くらすまの中を町から帰りよると、一人の男が灯ぃもつけずに川の中をジャブジャブ、ジャブジャブ上い向いてのぼりよるんがみえる。
「こない夜中に漁をするはずもないし!」と、思たけんどが、ソーッと後ついて行ってみよった。
ほじゃが、どーおもしよる事がおかしいんで、「ヨーイ、何しよんぞ、早よ上がって来い。」ゆうて大声でおらんだそのとたん‘まいまいちんご‘※2しだした。
急いで引っ張り上げてみると、着とるもんはボロボロで、そのうえ体中に茨や石のひっかき傷だらけ、気ぃはついたけんどがポカンとしとる。
「どうしたら!」ゆうと、
「わしゃあなーんも覚えとらん!」ゆう。
家い連れて帰って、よおぅに話を聞いてみるとこうゆう事じゃた。
男がイッパイ機嫌で帰りよると、大橋の上の‘だんぼ‘※3のとこに頭からズブ濡れで真っ赤な着物をきた可愛らしい娘が、 おいでおいで しよる。
近いいくと、「きたかや、きたかや」ゆうて向のほうい、いってしまう。やっとのこと追いつくと、又「きたかや、きたかや」ゆうんでついていきよったんじゃが、それから後はぜんぜん覚えがないゆう。
「おまえはのぅ、これこれこがいな事しよったんぞ。」・・・・・・・・・と教えちゃると、びっくりした顔でわがの体をきょろきょろ見回しとる。
「わしゃあ、ひょっとしたらカワウソにやられよったんかもしらん!」ゆうて、ほいでも一晩泊まって朝のとうに帰っていった。・・・・・・・・・ゆう話じゃ。
*1ごいど→  ごみ    *2まいまいちんご→みずすましが水面をぐるぐる回るような仕草
*3だんぼ→ 川の堰の下流に淀む水溜り
そーづの川の泉
この谷にのぅ、昔からどーんな旱魃にも、どーんな大水にも濁らん泉があらいや。
こんこんと湧き出る水はのおぅ、それこそきれーな水で、毎ひに何人も汲みに来とった。
その泉の水にはなあ、こがいな謂れがあってな・・・・・まあ、あんまりきれぇな水じゃもんでゆうたんじゃと思うけんどが・・・・・・・。
「おへんどさんに巡って伊予の‘そーづ‘の水を飲んで帰れ。」
「あの水飲むと長生きでける。」
「末期の水は‘そーづ‘の水がえゝ。」
「あの水のんどかんと閻魔さんが通してくれん。」
「あの水のんどったら三途の川を渡れる。」
ゆうぐらい有名で、ほうぼこに知られとった。
今じゃ町の茶人が時々上がって来て水を汲んで帰るぐらいなもんじゃが、以前はのぉ、お四国巡りのおへんどさんが、わざわざこの谷まで上がって来て、ほて、水を汲んでは、せなにこじょうて、いによったもんよ。
ほじゃけどのぅ、いっつもその水飲んどるここらのもんは、みいな若いし、つやつやしとる。
特におなご衆はのおぅ、あんたら知るまいがよーおに見てみい、餅肌ぞい。
今は信心するもんも少のうなってしもて、こゝら辺もさぶしいなってしもたわいや。
斉明さんの腹痛松
お天王山」のとっぺんに、一本の松の木ぃが海に向いて地ぃをほうとりました。
縄をぶらさげると、ぶらんこにはほんえゝ枝ぶりでの、私らがこんまい子供時分に、三、四人でよう上がっていってはその松い、縄をかけてはぶらんこをして遊びよりました。
ところがの、そこらへんで順番待っとる子はどうもないんじゃけんどが、ぶらんこに乗っとる子が腹痛をおこしましたの、乗ると次ぎの子も、又次の子も。
ほいでも、ぶらんこやめて、ちいとないしよると不思議に治りよりました。
そうこうしよる内にの、地ぃのとしよりが通りかかって、
「こりゃこりゃ、斉明さんの頭の上で悪さしよると罰があたるぞ。」ゆうて教えてくれました。
もう、その松も枯れてしもてその後い、何の木ぃやら雑木が一本生えとりますが、今にして思うと、斉明さんのお棺の上い木ぃが根ぇ張っとるのいもってきて、子供がそれをゆすぶるもんじゃけれ斉明さんも眠れなんで、ほて、ちょこっといたずらしたんかも知れません。
不思議じゃなあ・・・・・・・もし。
「そにおった」とゆう呪
タヌキがな、堤燈つけて、づーっとあそこの、マイジョ(西海岸のあたり)の境をな。
こよにこよに*1灯ぃがぎょうさん列になって、歩くんじゃとい。
タヌキが人を化かしちゃろ思たらな、そっちの方い指動かして、こよにしたらこっちいき、あよにしたら*3あっちいき、するんじゃとい。
ほれから、化かされたもんを捜しにいく時はな、こうゆう呪い言葉をゆうたらえゝんじゃそうな。                                           大きい声で「そにおった」*4ゆうたら、タヌキは化かしよるのを止めて、離してくれるんじゃとい。
みいなが鐘と太鼓でなあ、おらんようになったもんの名ぁを大声で呼びながら、ドンドンドン、チンチンチン、「そにおった」ドンドンドン、チンチンチン、「そにおった、そにおった」ゆうて廻りよる内になあ、藪の中やら田圃の中から、知らんまーに、ゴゾゴゾッと出てきて、キョトン・・・・・と、しとるんじゃとい。
*1こよに→手の仕草で、このようにの意。 *3あよに→手の仕草で、あのようにの意
*4そにおった→そこにいた
高姫の遊んだ大岩
私しゃあ、くわしゅうに知りもせんし想い出さんのですが・・・・・。
お滝の上の「黒岩さん」のちいと下がったとこに、二畳ゆうに余る大けな岩がありまさい。
「いろわれん、いろたら罰があたる。」とか
「石をかいだら血ぃが出る。」じゃのいわれとります。
その石は、黒岩城主の娘、高姫が、こんまいごろ遊んだ岩じゃといわれとる石で、戦いに敗れ、焼かれん前は、その石を取り囲むように、見事な松の木ぃがはえとりまして、たいそうきれぇな所じゃったそうです。
高姫は、毎日のように下りてきて、お供と一緒にお弁当をたべたり、髪をといたり、唄うたり踊ったりしよったゆう事を聞いとりまさい。
その辺も櫁柑山になってしもて、昔の面影はありませんが、今でも真ん中い”デーン”と座っとって、石の下には、それこそ小さいおじのっさんが祀ってございます。
あがいな大きな石、邪魔にはなるんですが、ほいでも”たたり”がおとろしゅうて、だあーれも触ろうと致しません。
そんな訳で、正月前は必ず塩で浄め、きれぇーにしてからお供えをして拝んどりまさい。
カツのおじいさん
みいなあ誰でも、いっぺんぐらい手ぇや足に疣がでけた覚えがあろがな。
中ノ川の疣神さんは「カツのおじいさん」ゆうてな、お墓じゃけんどがな、あたしらこんまい子供のごろよういよったわいね。
「カツのおじいさんは、ようきく。」ゆうて。
七十年も余って前の事じゃが、私が学校いかん時分にねえ、ここい、こちのすねこのここい、疣がでけて、ほて、それのけるためにおばあさんが山の坂道を手ぇ引っぱって、何遍も何遍も・・・・・。
お母さんは畑が忙しゅうて、ほて、おばあさんが何遍も何遍も連れていってくれよりました。
「カツのおじいさん」はな、物知りじゃあったそうで、お墓の前の華立てのくさった水を、疣に乾いたら付け乾いたら付けしよったのを覚えとらいな。
そいがまあ、どがいしたもんかしらんけんどが、学校い上がる時分に、しらんまーにきれーにのうなっとったんぞいね。疣神さんほうぼこにあるけんどが、ここがいっちきく思わいね。
田圃の中の塚の話
ノ原や宮本、高田あたりの田圃の中に、くずれたまんまの塚があるん知っとるか!
その昔のおぅ、高仙城が敵にせめられ落城した折に、命からがら逃げてきた高仙の武士が、とうどう追っ手につかまって切り殺されてしもたんじゃ。
かわいそうに思うた百姓や村のもんが、その場に塚を建て手厚うに葬ったんじゃとい。ところが田圃の持ち主はほとほと困ってしもたんじゃ・・・・・
とゆうのはなあ、田植えや麦を植えるときには必ず下肥をまく、それに取り入れにしたってそこが邪魔になってしょうがない。
おまけに葬られとる武士も静かに眠る事もできんかろ・・・・とお百姓さんは思たんじゃ。             お百姓は、わが家の庭い塚を移し祀ることにしたんじゃと。
ところがその晩から夜な夜な物の怪が出だした。   家族は怖がるし、うわさは広がるし・・・・で、困ったお百姓は通りすがりの行者におがんでもろた。ほたら行者のゆうのにはのおぅ。
「田圃の塚を移したのがようない。」とゆう。
そして「お武家さんが元の所に帰りたいゆうとる」とゆうて帰っていったんじゃとい。
しょうがないのでお百姓はブツブツいいもって、そいでも塚を元のところにもどしたそうな。
 その夜から、みょうに物の怪もでんようになって、その内みいなわすれてしもた。
お百姓は一人我慢しいしい仕事にはげんどる。今も・・・・・・のおぅ。
不思議な灯篭
かんまち(上町)の踏み切りのちょっと上のとこにのおぅ、自然石のえゝ灯篭があるじゃろが、
その石灯籠ができてからはのおぅ、雨が降ろうが、風が吹こうが、いちんち(一日)たりとも灯ぃが消えた事がないんぞ。                                                    ほじゃけんどがほんとはのおぅ、たった一回だけ灯ぃが消えた事があるんじゃそうなむかーし昔の、ある晩のことよ、役目の二人が酒を飲みながら灯ぃの番をしよった。すると、急に炎がちいそなって消えかかったんじゃとい。
ほいで役人の一人が、「そろそろローソクをかえんといかん頃じゃなあ。」・・・・・と、ゆうたんじゃとい。
ところがな、えゝ機嫌で酔うとるもう一人が、「めんどくさいけん一晩ぐらい消えとってもえゝじゃないか!」・・・・・と又、ええ気持ちで盃を重ねとったそうな。
ところがのおぅ、灯ぃの消えたその晩の事、ほうぼこで訳のわからんしびとがぎょうさん出たそうな。
部落のもんは、「灯ぃを消すとがいな事がおこる。」ゆうて、それからゆうもんは、今日までいちんちたりとも灯ぃが消える事がのうなったんじゃとい。これからもづうっと・・・・・・な。
ひょんの木の謂
おららの部落の氏神さんの裏山に「ひょんの木」と云う木があらいや
本当は「イスノキ」と云うらしいけんどカタチのような実ぃがならい。
実ぃと云うても葉っぱが丸うなって、かとなっただけらしいけど、虫がついて、丸い穴があいて、その穴い風があたってヒョンヒョン鳴るところから”ひょんの木”と云うそうな。
正岡子規の俳句にこんなのがある。
「我見しより久しきひよんの繁り哉」・・・・・と
おらがこんまい頃のことじゃけんど、氏神さんの裏山いいて実ぃを拾うてきて、子供どうしでヒョンヒョン鳴らしやいこしよった。
「おらのがよう鳴る!」
「ちがわい、おらのじゃ!」
と喧嘩なんかもした事あらいや。
ほいでも、いっち大きい実ぃ持っとるんが自慢でねや、みいなに、
「これみい、これみい」
いいもってみせびらかしよったわいや。
近頃の子供はあんなもん見向きもせんけど、おらら子供のごろはよう遊びよったわいや。ヒョンヒョン鳴らして・・・・・。
ほじゃがあんな木ぃどこばりないねや。
おリヨばあさんと真似し狸
池の原に、おリヨゆうおばあさんが居よった。
それがなによ、がいな(異常に)口達者ときとって、酒と口喧嘩じゃったら男にゃ負けたことない・・・・・と、自慢しとった。
昔はどうゆうもんか日照が続いて、水が少ないけれ米がよけとれいで、
「何かうまい方法はないもんか」・・・・と、いっつも百姓は思いよった。
そいでなによ、みいなで、『溜池つくったらええじゃないか!」云うて、そいででけたんがあの明神池じゃ。
明神池をつくるのに、部落のもんが総出でこしゃえたんじゃが、土手を固めるのにゃ亀の子石を大勢ぇでつくんじゃが、てにまめをつくりもって縄引っ張ったもんよ、男も女も、としょりも子供も・・・・・。
土手がでけた時にゃあなによ、さすがの亀の子石も、三つほど割れたわいや。
地固めの時にゃあ決まって一杯機嫌のおリヨばあさんが出てきて土手の上から
「わしが音頭とっちゃるけん、はよやれ、はよやれ」云うて、たんびにせかしよったわい。
唄いだすとなによ、なんでもかんでも取りつけ唄うんじゃが、それが又、うまいもんで、一服するまで唄が途切れるゆうことがなかったわい。
音頭はもう忘れたけんど、こうゆう文句じゃった。
「アーもうまあ、そろそろやりましょかい・・・・・」
「ヤンセエーヤンセエー・・・・・・・・・・」
「ヤンサにカンサは梅の木谷じゃい・・・・・・・」
「ヤンサーヤンサー・・・・・・・・・・・・」
こおぅよな具合に!
ところが、おリヨさんが唄い出すと男衆が
「みよれよ、今に裏山で狸が真似して唄い出すぞ」
ゆうとるうちに、山の方から、
「アーもうまあ、そろそろやりましょかい」・・・・・・・・・・と
まっこと真似のうまい狸じゃったが、池もでけて、田ぁに水の心配ももうなって、ほして、おヨリおばあさんものうなってからはなによ、狸も真似せんようになってしもた。
今は亀の子石だけが残っとって、それを見ると、おリヨばあさんと真似し狸を思いださいや
おさんぜんさんとかたちの木
川上のいっち上の家の裏に、あたりが薄暗うなるほど枝を張ったかたちの木ぃがあって、その下いこんまい祠があって、のぞいてみると五つ六つの五輪さんが祀ってある。
その塚を”おさんぜんさん”ゆうて所の人はあがめとる。
むかしはそうとう大けな木じゃあったそうで、木ぃの下は広い影がでけて子供のえゝ遊び場になっとったそうな。
ある年の事、木ぃにぎょうさん毛虫がわいて、気色悪いし影にはなるし・・・・・・で、おばあさんは腹をたてたて切ってしもた。
「切り口に塩をぬると芽ぇがでてこん。」
ゆう事をきいたおばあさんは、
「のちのち生えてこんように。」・・・・・・と、塩をいっぱいすり込んだそうな。
その夜のことじゃった。六歳になる子ぉが
「苦しい苦しい息がでけん。」ゆうて苦しみだした。
誰にみせてもなんのからか、(せいか)かいもくわからんかった。仕方がなしにおばあさんは拝みやさんにみてもろた。ほたら、
「かたちの木ぃやそのあたりは”おさんぜんさん”の遊び場で木ぃ切ったんで”おさんぜんさん”が怒ってお前の子に罰をあてとるんじゃ。」とゆうた。
それを聞いたおばあさんは、切り株を真水で、ていねいに洗い流し、その横い、こんまいお宮を作って一心に祈ったんじゃと。
ほたら、不思議に株から芽が出てきて、子供の病もケロッと治ってしもたんじゃそうな
近所の人は、盆や彼岸には必ず詣っていって、”おさんぜんさん”の霊をなぐさめとります。
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